東京へ

 

10日間ほど妻とともに東京で過ごしてきた。

東京にいる長女の第二子が11月25日に誕生した。
第一子の時は里帰り出産で出産前の通院から出産1ヶ月後の宮参りまでの約2ヶ月を実家で過ごした。我が家にとってはハードな2ヶ月だったが、今回は上の子が保育園へ通っていることもあって、長女が退院翌日の12月4日から14日までの滞在となった。娘夫婦の家は東京郊外にあって築4年の一戸建て住宅なので生活感のリズムとしては大差なく、落ち着いた毎日ではあったが、最初の2〜3日は枕が変わったこともあってか時差ボケ的なダルさがあったがそれもすぐに解消した。

 


私たち夫婦の仕事としては4歳半になる子供の保育園への送迎と家事全般で、空いた時間は近所の散策のウォーキングで毎日一万歩近い数字になっていた。
毎日昼過ぎはウォーキングタイムで近くを流れる多摩川沿いを歩いたり、少し離れた深大寺や調布空港へ行ってみたりと周辺地域を歩き回った。高尾山も行ってみたかったのだが時間的な制約があってならなかったが、機会があれば是非訪れてみたいスポットでもある。

深大寺

 


第一子は保育園に通っていて、その保育園は英語教育に力を入れているとかでネイティブの講師がレッスンをしているのである日の午後授業参観をさせてもらった。自宅でも英語教材に囲まれた生活をしていることもあってか、目を輝かせて授業を受けていた。

 


何とか十日間を乗り切って最低限の課題を果たしたが、長女の様子からすればもう数日補助した方が良いようにも思えたが、帰阪翌日から健康診断や通院のスケジュールが入っていたため14日に自宅へ帰った。

 


孫達の顔を見ていると飽きることはないし、産まれたばかりの赤ちゃんと4歳半を比較すればその成長の過程が実感できて嬉しい限りである。

 

 

 

 

 

山歩き 2016.11.26

 

 

 

 

摂津峡入口

DSC_01542.JPG

摂津峡風景(3枚)

DSC_01572.JPG

 

DSC_0667.JPG

 

DSC_0669.JPG

山越え入口付近

DSC_0676.JPG

山越えの林道

DSC_0677.JPG

お弁当

DSC_0685.JPG

帰りの途中

DSC_0688.JPG

 

 

先週に続き紅葉の時期の山歩きをして来た。

紅葉も今週いっぱいまで、との気象情報を聞いていたので近場のハイキングコースを歩いて来た。

自宅から徒歩30分程度で行ける景勝地摂津峡へ、川に沿って摂津峡を抜けたところから山道(林道)へ入り、約一時間九十九折の坂道を(地図で見ていたよりも急勾配)を歩いて峠を越えて山村へ入り、その近くの自然公園で昼食。帰りは比較的勾配の少ない市道を選択して自宅まで帰った。

 

 

田園の中を流れる芥川に沿って南から摂津峡に入って行くとわずか数分で周囲のロケーションが変化して深山幽谷の世界が広がってくる。そしてその奥には仙人が住んでいる世界があるかのような錯覚に陥るが、そのまま数百m歩くと山間の渓谷美からのどかな田園地帯が広がって来て人間の世界に逆戻りする。摂津峡は1kmにも満たない幽谷の世界で、だからこそ住宅街にもほど近い場所にありながら、箱庭のように別世界が広がっていて人の心の和ませてくれる。

 

 

山歩きの際はいつもスマホGPSアプリを使って、現在地の確認と歩いた経路や時間・距離をログとして残しているが、それによると歩行距離は13.3km(約20000歩)で、高低差では240mとちょうど伏見稲荷の上まで登るのとそう変わらないと程度にも関わらず最後は足にきていたのが少し情けない思いだ。

 

紅葉の時期なので写真をと思い広角のズームを付けた一眼レフを持参したが、何枚か撮ったところで、バッテリーのところに?マークが出始めるシャッターが押せなくなってきた。確認したところ電池切れ状態だった。スマホGPSを使う場合電気の消費量が多く短時間で電池切れになることがあるので予備電源を持って来ていたが、カメラの電池残量は確認していなかったため使用不可になってしまった。仕方なく途中からはスマホのカメラで撮影するしか手がなくなってしまった。

 

 

今日歩いたコース付近でクマの目撃情報があったためか、コースのいたるところに「クマ注意」や「クマに出会った場合の対処方法」などの看板がぶら下がっていた。山道を歩いていてもドングリの木が至る所にあって確かに餌場としては申し分ない環境だった。

山越えの道では他のハイカーとは出会わなかったが、麓では土曜日ということもあってジョギングやサイクリングをしている方や家族での紅葉狩りと結構賑わっていた。

 

 

 

2016.11.25

 

 

DSC_01402.JPGj

 

DSC_01432.JPG

 

 

昼過ぎに家族の眠る墓地にお墓詣りに行ってきた。

その墓地は山の中腹のなだらかな斜面にあって、一般的には「樹木葬」と呼ばれている墓標の代わりに樹木を植えたタイプで、此処は桜の木が墓標がわりになっており「桜葬」と呼ばれている。墓地全体に芝生が植えられていて、舗道やテント、ベンチもあるので一見公園にも見える。ただ大きな石をそのままくり抜いたような献花台には花が絶えず手向けてあるのでそれだけがお墓らしくもある。

 

 

山の斜面で日当たりも良く四季折々の自然が周囲にあって、常に手入れもされているので、いつ来ても気持ちを癒してくれる場所でもある。

週一ぐらいで、日課のウォーキングを兼ねて山の麓まで車で行きその墓地までの1k弱を歩いているが、今日は紅葉も終わりに近づいた山道を写真を撮りながらの墓参りだった。

 

IMG_1642.JPG

 

 

 

 

 

墓参りの後、自宅で長女の第二子の無事出産報告を聞いた。

第一子の時は里帰り出産だったが、今回は東京の自宅近くの病院での出産で心配もしていたが、元気な2700グラムの女の子で連絡を受けた時は少々ウルウルしてしまった。

私の友人で、中学校の校長先生上がりなのだが「孫は無条件にかわいい。こちらに責任がないので」などと元教育者らしからぬ無責任な事を言っているのがいるが、しかしまぁ本当に孫はかわいい思うし、新たな生命の誕生は本当に誇らしく思う。

山歩き 2016.11.17

山歩き 2016.11.17

久しぶりに山歩きをした。と言っても日本アルプス縦断などといった本格的なものではなく、近場の標高500m前後のの山を半日歩く程度なのだが。歩行距離は概ね10〜15km程度のコースを設定して、手作り弁当を持参して一人楽しんでいる。

昔、子供が小学生時代だったと思うがアウトドアブームがあってオートキャンプや家族での山歩きに凝った時もあったが、子供が小学校高学年になって塾や進学の時期で忙しくなると自然消滅した。ただ当時のキャンプ道具一式は地下車庫の片隅の収納庫においてある。ある程度処分したが、テントやタープ、ストーブ・ランタン類は愛着があって捨てきれずに20年以上経過してしまった。

今年になってウォーキングの延長として山歩きを再開した。

この日は高槻最北端の樫田地区まで行き、ここは元々京都府(市)だった所で、京都市左京区亀岡市と隣接しているが、そこから歩きで大原野自然公園を横に見ながら、京都西山の善峯寺までの往復で約11kmの行程だった。全体としては比較的平坦なコースなのだが善峯寺自体が急勾配な山の中腹にあって、伽藍の構成自体にも高低差があるのだが、その手前2km程度が急勾配でいわゆる九十九折の山道(東海自然歩道)だった。

善峯寺は今紅葉の盛りで多くの観光客が車で訪れておられた。高台にあるため京都市中心部の南半分ぐらいが見通せ京都タワーもおぼろげながら確認できた。

京都市街地を遠望

IMG_1625.JPG

善峯寺(3枚)

IMG_1626.JPG

IMG_1627.JPG

IMG_1628.JPG

本来はこの後善峯寺の後、3kmほど北にある金蔵寺に向かう予定だったが、久しぶりの山歩きで情けないことに脚に震えがき始めて断念した。

余談ながら、高槻北部はクマの目撃情報が夏以降出ていて、この日もクマよけの鈴をリュックにぶら下げての歩きだった。未だクマに遭遇したことはないが、鹿や猿は時折見かけることもあって、クマよけのスプレーを購入しようかと思ったこともあるくらいだ。

一日、自然の中に浸っていると目は自然の風景(今なら紅葉)を追いかけ、耳は風の音や小鳥のさえずりに囚われているが、頭の中はその分空っぽで、時間の経過を忘れてしまうのが嬉しい。時間の制約があって遠出ができないのが残念でもう少し足を伸ばしたいのだが、年内にもう一度は山歩きをしたいと思っている。

明日の記憶

明日の記憶」 荻原 浩 著

久々にショッキングな本を読んでしまった。

「業界5位の広告代理店勤務の営業部長・50歳。役職的にもいっぱいいっぱいの最近、物忘れが激しくなり思い切って大学病院へ。結果は若年性アルツハイマー病との診断で、痴呆症とは異なり脳細胞が破壊されて行き身体のコントロール機能も失い死の危険性も高い病気と診断され苦悩が始まる。

不眠に悩まされながらも必死に仕事に励もうとするも、約束の商談を吹っ飛ばし、社内会議も忘れてしまうも本人にはその意識がない。通院しながら全ての事項をメモに書き付けてポケットをメモ一杯にして持ち歩き対応しようとするが、書いたことすら忘れたり、行き慣れたはずの場所で迷子にもなり、秋の枯れ葉のようにボロボロと記憶が散っていくことが自覚され、やがて会社上層部にも知られ立場を失っていく。

一人娘の結婚を機に退職し若い頃やった焼き物の趣味に挑戦し、ある日妻に内緒で独身時代通った山中の窯元へ行き一昼夜過ごし下山する。そこへ夫を探しにきた妻と吊橋の横で出会うが、男性は妻と認識できず「こんにちは。夕日が綺麗ですね。」と微笑みかけてしまう。妻は涙を流しながらもそっと夫に寄り添って歩く。そんな妻に自分の名を名のり、そして彼女の名前を訪ねた・・・。

それは症状を自覚し始めてほんの数ヶ月後のことだった」

サラリーマン経験者として「記憶の死亡」は万死を意味する。発病直後の主人公の葛藤、妻との会話ややりとりが胸に突き刺さってくる本だった。

主人公はアルツハイマーと診断された後、その病気自体の進行の恐怖や、会社・仕事の継続の不安、結婚を控えた一人娘のこと、妻への遠慮等々葛藤を抱えながらも前向きに対処するが、病気の進行は想定外に早く娘の顔や元部下の顔さえどこかに置き忘れたかのように思い浮かばなくなってしまった。

最後の記憶を振り絞って昔通った窯元へたどり着き安楽の気持ちを覚えるが、その時過去の記憶をほとんど失っていたという、なんとも切なく哀しい小説だった。

荻原浩さんの小説は少しコミカルでレトロな雰囲気もあって安心して読めるのだが、ある評論家の言葉を借りると、「彼の小説の行間には哀愁がある」なのだが、「明日の記憶」程切なく哀しく人の心にクサビを打ち込むような小説はなかった。

IMG_1619.JPG