blog「 閑話 」の始まり

3年前にあるブログを始めた。

そのブログは大学のフットボールリーグを題材にしてゲームの展望や観戦記などが中心で、ブログ全体の90%を占めている。残りの10%程度が趣味の読書やパソコン関係、日々の出来事を思いつくままに書いていたが、年とともにフットボール関係のブログ記事のアクセスが増えてきて、属するブログサイトのスポーツ分類の中ではアクセス数が上位1%以内に入ってしまい、ブログアップの頻度や内容に手が抜けなくなってしまった。

個人のブログとしては喜ばしいことで、やり甲斐も出てきたのだが、反面フットボール以外の記事が書きにくく、アップしてもフットボール以外の記事はアクセスも少ない状態になってしまった。多分フットボールファンで定期的にチェックしてくれる読者が増えた結果なのだろうが、それは大変ありがたい反面記事の範疇は束縛される結果になってしまった。

フットボールにはシーズンがあって秋のリーグ戦と春のオープン戦時期以外は閑散期ということもあるし、読者はフットボール以外の情報は期待していないだろうことも想像できるので、そのブログからフットボール以外の記事を新設したこのブログ「 閑話 」に移設した。

このブログではタイトルの通り、個人の思いをフリーハンドで思いつくままに不定期に書いていこうかと思っている。最近はフットボール観戦以外にも読書や山歩きも頻度が高くなっているのでそれらを、アクセス数を気にせず書いていきたい。

どちらかと言えば思いつくままの不定期の日記、備忘録といった内容になるのだろう、か。

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※本日のウォーキングの際、スマホで撮影

「年間100冊読破目標!」 の中間報告

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「年間100冊読破」の目標で半年経過したが、6月30日現在で読み終えた冊数は丁度60冊で、10冊/月のペースで推移している。このペースのままだと年間120冊になってしまうが、秋になると例年アメフトのせいかペースダウンするし、11月後半2〜3週間出かける予定もあってそれは無理かと思っている。しかし昨年に続き100冊/年越えはクリアできそうだ。

読んでいる作品が歴史小説、時代小説が中心というのは以前書いたが、その作家も吉川英治山岡荘八山本周五郎藤沢周平司馬遼太郎といった文豪や、浅田次郎宮部みゆき宮城谷昌光等の直木賞選考委員を務めているような現在の大御所的な作家で、それを片っ端から読みきってしまう手法をとり続けて来た。

今年になってもう少し若い世代の作家や中堅的な作家を物色したといえば言葉は悪いが探し始めていた。個人的に好きな葉室麟のように一本筋が通って凛とした時代小説を求めて、ネット配信の文芸情報や図書館情報を参考にしながら読み始めた。

今年になって初めて読んだ作家として、冲方丁、和田竜、武内涼、畠中恵、青山文平、あさのあつこ乙川優三郎上橋菜穂子などが挙げられる。それぞれの作家の作品を数冊づつ読んで作風を確認して上で、気に入った作家の全作品を読破する相変わらず少々荒っぽい手法で読書作業?に勤しんでいる。

上記の中で読破できたのは先づ青山文平できっかけは直木賞受賞作品の「つまをめとらば」を読み丁度探していた凛とした作風が気に入り、「半席」を除き読み切ったが作家としてのデビューが最近だけに10冊にも満たなかった。作品的には山本周五郎藤沢周平の本流を受け継ぎながらも、「情」や「仁」だけではなく「知」の側面も主題にしており、小気味良い切れ味の良さも持ち合わせているのが青山作品の特徴かと思っている。

続いて読んだのが、あさのあつこ作品で元々は青少年向け文学で定評のあった人だが、近年時代小説を書き始めた異色の作家だ。当人の対談を何かで読んだが、ご本人は藤沢周平の大ファンで藤沢作品は全て読んだと言われていたが、同じく藤沢作品は全て読んだ自負もあって全作品読み終えた。ただ、あさの作品も時代小説は比較的最近のため20冊に満たない冊数だった。

自称藤沢ファンと言われる作者だけに、藤沢周平独特の暗闇や閉塞感が漂い、決してハッピーエンドに終わらない作品群や、心の闇を持った主人公を深く切り込んだ作品がある反面、青少年文学の延長線上で、若い主人公の未来の光にスポットを当てた作品群もあった。

そして今読み続けているのが乙川優三郎で、最初に時代小説対象を受賞した「霧の橋」で心を奪われとりあえず基本古い作品から順番に読み始めて、現在7冊目だが20年近い作家活動歴があるだけに作品数も30冊前後はありそうで今後が楽しみだ。

作品的にはまだ一部を読んだだけなの断定的には言えないが、強いて言えば山本周五郎の流れを汲んだ作風なのか時代小説の本流(何をもって本流とするか個人差はあるかもしれないが)を歩んでいる気がする。先人の細やかで独特の世界観を醸し出すような風景描写や人情の表現力に及ばない部分はあるかもしれないが、ストーリーには個人的に好きな凛とした作品もあるし、芸術家の世界を描いた作品などもあって幅の広がりも感じられ未読作品の期待も持てそうだ。

最終目標の「1000冊読破!」に対しては、アメフトで言えば丁度第1Q(250冊程度)が読み終わった段階なので、まだまだその過程は何年も続きそうだ。

年間100冊読破 達成 その2

年間100冊読破達成 その2

読んでいるのが歴史小説、時代小説なので作家としてはある程度限定されている。

読んだ冊数で多い作家としては、吉川英治山岡荘八池波正太郎司馬遼太郎宮城谷昌光(中国の古典的歴史小説)、藤沢周平山本周五郎葉室麟宮部みゆきといったところだろうか。それ以外の作家もあるが単発的で冊数は限定的だ。中でも藤沢周平葉室麟はほとんどの作品を読破したと自負している。現在は山本周五郎の全作品を読破しようとしているがまだ数ヶ月はかかりそうだ。ただ上記の作家については一人につき数十冊単位で読んでいるのは間違いない。山岡荘八などは作品数としては4作品しか読んでないがその中の「徳川家康」(講談社歴史文庫)だけで26巻なので週一冊のペースでも約半年要しているし、その他の3冊も長編だった。

本を購入して読んでいた時代は、次に読む作品の選択にあれこれ悩むし、書店に行く時間も余り取れなかったので長編ものを意識して選択してまとめ買いをしていた。「徳川家康」以外にも吉川英治新平家物語」16巻、同「新書太閤記」11巻、同「三国志」8巻、同「私本太平記」8巻、同「宮本武蔵」8巻、池波正太郎真田太平記」12巻、北方健三「三国志」13巻、司馬遼太郎坂の上の雲」8巻などがある。

もっとも最近は時間的にも余裕があり、市の図書館はネット上からの検索や予約で近所の図書館までの配送システムも整っていて、長編短編関係なくどちらかといえば1人の作家の作品を根こそぎ読んでいるので選択基準が変化している。

合計450冊の中から敢えてベストの一冊をあげると吉川英治の「新平家物語」16巻になる。

既存の権力を廃しながら大胆で少々荒っぽい手法で武家権力の道を追い求めながらも、何か憎めない人間平清盛と、名ばかりの武家で公家化した清盛後の平家一族の浮沈、そして権力とは対局に位置する阿部麻鳥という無欲の人物を折に触れ織り交ぜながら壮大な作品に仕立てられている。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」、栄枯盛衰の悲哀がしみじみと伝わりスケールの大きな叙情詩として強く心に残っている。

余談ながら、この「新平家物語」後の事になってしまうが、平家の栄枯盛衰もさることながら、個人的には平家滅亡ののち権力を掌握したはずの源頼朝も掌握後数年で亡くなり、その死後は平家の流れとも言われる北条家に乗っ取られ、頼朝に繋がる源氏一族をことごとく抹殺された歴史は平家一族以上にうら寂しい顛末と思えてならない。

ただ源氏の家系は奥行きがあるので傍系で佐々木源氏、足利氏、新田氏、京極家、武田(信玄)家や吉良家等々名前を変えながらもその後の歴史に中に登場し、清和天皇を始祖とする名門家の伝統を後世に残している。征夷大将軍の官職は原則源氏系武家の権力の象徴として引き継がれたことがそれを物語っている

年が明け新しい年度が始まったが今年も100冊を目標にじっくり取り組みたいと思っている。

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本筋のテーマから少し外れるが、読書録をExcelで作成したと書いたが、それはタブレットスマホ用のExcelが無償で配布されだしてからのことなので比較的最近になってからのことである。それ以前はパソコン(iMacとWinノート)ではオープンオフィス(無償ソフト)、iPadでは他のアプリを使っていたが使い勝手は必ずしも良くなかった。Excelを使い出すとやはり一日の長があり結局パソコン用のExcel(365ソロ)まで購入してしまった。

この有償のExcelには1テラバイト(個人でそこまで必要かと思えるほど膨大)のOneDriveが付属しており、このクラウドの使い勝手が良くデータの保存に役立っている。以前からiCloudDropboxクラウドも使ってはいたがもう一つわけがわからないままの使用だったが、OneDriveは管理がしやすく使い勝手も良い(DOSのように階層的にかつ視覚的に管理できる)。ここにデータ保存さえしておけばパソコン(Win、Mac問わず)、iPadスマホから瞬時にアクセスできて助かっている。

年間100冊読破 達成 その1

年間100冊読破達成 その1

三年程前のある時、ふと思ったのが「1000冊の本を読もう!」だった。

年間100冊のペースで読めば10年で達成できると。

その5〜6年前から年間50冊(週一冊のペース)程度の本は読んでいた。それ以前はたまにビジネス書を読む程度で読書に親しむことは子供時代以降あまりなかったのが事実だ。

思い起こすと小学校高学年時にクラスのマドンナが読書好きで学校の図書室から本を借りて読んでいたのを覚えているが、それを真似たわけではないがマドンナほどではないにしても本を借りて読んでいた。当時読んでいたのは子供らしい冒険物などが好きで「15少年漂流記」「ロビンソンクルーソー」「ファーブル昆虫記」「孫悟空」「ヤン坊ニン坊トン坊」といったタイトルが思い出せる。しかし中学以降は必要に迫られて本を読む以外は読書好きとは言えなかった。

それが年間50冊程度の読書家になったきっかけというのが、あまり大したことではないが、通勤の途中習慣的に日経新聞を読んでいたのだが、それが何か味気なく思い始めてある日やめてしまった。そして代わりに読み始めたのが小説で、その時以来歴史小説、時代小説を読み続けている。一日約2時間の通勤時間や昼休みに読むと概ね一週間に一冊読むペースとなりそれが定着し、ルーチンワークになってしまいそれから5年程経過したのが3年前だった。

時間的な余裕ができたので、三年前年間50冊ペースをさらに上げて年100冊(週二冊ペース)×10年=1000冊にあげようと思ったのだが、余り読書ペースが伸びずに二年が経過した昨年初頭に再度思い立って精力的に読み始めた結果、12月末日現在で108冊読破となった。

この三年ほどは市の図書館を利用している関係で読んだ本の日付、タイトル、作家、出版社、簡単なあらすじなどをExcelで一覧にして保存している。以前は書店で買っていたので現物が目の前にあるので覚えられたが、図書館利用の場合百冊単位に読んでしまうと、以前読んだことを忘れダブって借り入れる現象があったので、必要に迫られ「読書録」としてデータベース化した。更にそれ以前の5年ほどの間に購入して読んだ約250冊も既読分として一覧化し、図書館ではiPadでその一覧を確認しながら新規の借り入れや、予約に利用している。

その「読書録」には図書館通いし始めた後のある一定期間の記録が漏れているが、それでも購入した分で250冊、図書館通いで約200冊、合計450冊をこの8年間ほどで読んだことになっている。

但し「1000冊読もう!」と思い立って後では200冊なのでまだまだ先は長い。

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続く・・

箱 女

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週末土曜日、久々の観劇で過ごしました。

丁度1年前にもこのブログで書いたのですが、我が家の次女が舞台衣装の製作に携わっており、といっても次女の友人が主宰する小さな劇団ですが、その舞台衣装をほぼ一人で作ったためその成果を見てきました。

次女がその製作途中体調を崩し、療養生活を強いられたこともあって心配していたのですが、何とか仕上げることが出来ホッとした気持ちで見させてもらいました。

タイトルの「箱女」って何? でしたが、実は駅の売店(ボックス)で毎日新聞や雑誌・タバコなどを売る女性が主人公で、彼女が見る個々の客の生き様や、自分自身の箱からの脱出等を思い描いたもので、演出は意欲的で少々挑戦的な側面もありました。如何にも若い人ならではの視点で構成されている印象でした。

私などはもう小さな箱の中で居心地良くなってしまい、箱から出ることを忘れてしまって、いや外を見ることすら忘れていますが、そんな生き方には「喝!」でした。

忘れかけていたものを少し蘇らせてくれた作品でした。