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明日の記憶

明日の記憶」 荻原 浩 著

久々にショッキングな本を読んでしまった。

「業界5位の広告代理店勤務の営業部長・50歳。役職的にもいっぱいいっぱいの最近、物忘れが激しくなり思い切って大学病院へ。結果は若年性アルツハイマー病との診断で、痴呆症とは異なり脳細胞が破壊されて行き身体のコントロール機能も失い死の危険性も高い病気と診断され苦悩が始まる。

不眠に悩まされながらも必死に仕事に励もうとするも、約束の商談を吹っ飛ばし、社内会議も忘れてしまうも本人にはその意識がない。通院しながら全ての事項をメモに書き付けてポケットをメモ一杯にして持ち歩き対応しようとするが、書いたことすら忘れたり、行き慣れたはずの場所で迷子にもなり、秋の枯れ葉のようにボロボロと記憶が散っていくことが自覚され、やがて会社上層部にも知られ立場を失っていく。

一人娘の結婚を機に退職し若い頃やった焼き物の趣味に挑戦し、ある日妻に内緒で独身時代通った山中の窯元へ行き一昼夜過ごし下山する。そこへ夫を探しにきた妻と吊橋の横で出会うが、男性は妻と認識できず「こんにちは。夕日が綺麗ですね。」と微笑みかけてしまう。妻は涙を流しながらもそっと夫に寄り添って歩く。そんな妻に自分の名を名のり、そして彼女の名前を訪ねた・・・。

それは症状を自覚し始めてほんの数ヶ月後のことだった」

サラリーマン経験者として「記憶の死亡」は万死を意味する。発病直後の主人公の葛藤、妻との会話ややりとりが胸に突き刺さってくる本だった。

主人公はアルツハイマーと診断された後、その病気自体の進行の恐怖や、会社・仕事の継続の不安、結婚を控えた一人娘のこと、妻への遠慮等々葛藤を抱えながらも前向きに対処するが、病気の進行は想定外に早く娘の顔や元部下の顔さえどこかに置き忘れたかのように思い浮かばなくなってしまった。

最後の記憶を振り絞って昔通った窯元へたどり着き安楽の気持ちを覚えるが、その時過去の記憶をほとんど失っていたという、なんとも切なく哀しい小説だった。

荻原浩さんの小説は少しコミカルでレトロな雰囲気もあって安心して読めるのだが、ある評論家の言葉を借りると、「彼の小説の行間には哀愁がある」なのだが、「明日の記憶」程切なく哀しく人の心にクサビを打ち込むような小説はなかった。

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