Macな日々 その4

LC630本体・・アップルらしい洗練されたデザイン

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Mac購入後根っからのMac信者になってしまいました。

その理由としてはWin対Macのシェアーはともかく、パソコンとしてマイクロソフト社のWindowsがまだMacの後追いでGUIの世界に入りかけの時に、Macは既に独自のMacワールドを構築しており、そのアドバンテージの高さはWinの比ではなかったのと、その当時の所属部署が企画開発部のヘッドという立場であり業務的には、Macの方が適しており会社に申請してMacの導入を図ったことにあります。 それにもう一点Macならではのこだわりの世界とデザイン性にも共感するものがありました。

一度Macの世界へ入り込むとMS-DOSはもちろん、Windowsがシェアーを獲得後も一般業務用はともかく、個人使用としては後戻りは出来なくなっていました。

個人的にMac信者になったのとは裏腹に、紆余曲折はありましたがアップル社の信用や業績は必ずしも芳しくなく、極端な例では信用不安も出る始末でした。またアップル社が買収されるとか、身売りするとか、某企業の傘下に入るとか噂はいろいろありました。その頃まことしやかに流れた噂の中に、その当時絶好調のソニーが買収するというのがありました。アップル社のブラウン管は一斉を風靡したソニートリニトロンブラウン管を使っていましたので、そのような噂も出たようですが真偽のほどは不明です。ただソニーもパソコンに何かしらの意図を持っていたことは事実のようです。後年WindowsパソコンVAIOを販売したのもその延長戦ではと思っています。個人的にはソニーがアップル社を買収すればさらに独創的なマシンが出るのではと密かに期待していました。

その頃スティーブジョブズは既に追放されアップル社にはおらず、TOPも何人か変わりましたがアップルとしての方針がその都度変化しベクトルが一定でなかった気がします。

Macな日々 その3

アップル社 パフォーマ630

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Macへの傾倒を更に加速させたのが、これも業務上の取引先でパンフやカタログ類のデザインを委託していたデザイン事務所がMac数台とイラストレーターの組み合わせを基本にLANで繋いでいました。それを知った時Macの購入を内心決めていました。

そしてMacの機種選びが始まったのですが、当時CPUの違いにより高速のクアドラシリーズと普及型のLCシリーズに分かれておりどちらにするか思い悩んでいた時、LCタイプをベースにしたパフォーマが発売になりました。このタイプはLCにアプリケーションソフトを満載し割安感を出してビギナーを囲い込もうとしたものでした。これはアップル社がシェアで優っていたマイクロソフト社に対して、間口を広げるための戦略だったと思います。

結局その時点で最新であったパフォーマ630(写真)とスタイルライター(モノクロプリンター)をセットで購入しました。購入金額はNEC98より安かったのですが、それでもまた相当の投資をしてしまいました[E:#x1F4A7]

ただ購入したMacMS-DOSとは格段以上の違いがあり、正に目からウロコ状態でした。

今では当然ですが、カラー(32000色)でマウス操作が基本で、コマンドを打ち込む必要もなく、分厚いマニュアルもなく始めて操作するソフトでもなんとか動かすことができ、HDD標準装備で、LANも可能で・・・・

その証拠に購入当時小学生だった娘達もなんの説明をしなくても、ゲームをして遊んでいました。

約20年前に購入したMacは、本体の基本性能は別にして見かけは現在のパソコンに近いレベルに達していました。現行のパソコンとの違いはCPUも含め個々のパーツの能力が低く、当時のOS漢字トーク7.Xの目指すところを実現するにはパワー不足で、そのギャップのせいかよくフリーズしたり、爆弾マークが出て制御不能に陥りました。これがMac唯一の弱点で、Windowsには見られない現象でした。

以前にWindowsMacのコンセプトの違いという言葉を使いましたが、WindowsMS-DOSの基本ソフトの上にWindowsという表紙でカバーしGUIを実現していますが、Macの場合は究極のGUIを頭から目指し、ハードの能力以上にソフトパワーを実現しようとしているように見え、そのギャップが不具合としてフリーズとして出てくると個人的な見解ですがそう思っています。

但しそれはモトローラ社CPUの時代でインテルMac&OS-Xに移行後はほとんど見かけなくなりシステムとしての安定感はWindowsに並んだ気がします。

アップル スタイルライター

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孫 飛来Ⅲ

少し時間が経ちますがGWに長女夫婦と孫が東京から帰ってきました。 過去2回の 孫飛来 は長女が東京から関西方面への出張に孫を連れてきて我が家で預かったケースでしたが、今回はGWを利用して一家での帰阪でした。加えて普段一人暮らしの次女も加わり突然賑やかな数日となりました。 連日イベント満載で、弁当持参で公園へのドライブや我が家の庭でのBBQ、誕生会等趣向を凝らしましたが、その分疲れて毎晩爆睡でした。 普段2人だけの生活の中に、子や孫が帰ってくるとそれこそ「おもちゃ箱をひっくり返した」ような状態で嬉しいものですが、情けないことに普段の数倍疲れてしまいます。 里帰り出産から丁度二年、2歳になる孫は随分と成長しましたが、言葉(日本語)はちょっと遅いようで余り出てきません。ただ日本語より英語の方が得意で今の所英語のボキャブラリーの方が多く、発音も毎日ネイティブを聞いているようで流暢です。アルファベットも大文字小文字問わず既に覚えてしまったようです(・_・; ⁉️ BBQ風景

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Macな日々 その2

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その頃はまだパソコンの黎明期だったのでしょうが、パソコン特にCPUの進歩は目覚ましく半年ごとにモデルチェンジし、「パソコンの寿命は2年」「5年経ったら化石」などと勝手なことを言われていましたが、そのような高価な商品を個人で短期間で買い換えることなどできるはずありませんし、企業にしてもリース期限を考えるとそう短期間でモデルチェンジはあり得ません。

その寿命を伸ばすため四苦八苦しましたが、その解消の一つにメモリの増設がありました。

当時のパソコンの基本メモリは1M(メガ)でしたが、システム使用分を差し引くとユーザーが使えるのは645kb(キロバイト)だけのため制約も多く味気ない画面でした。もちろんモノクロでカラーはもちろん動画などは縁のない世界でした。今のパソコンは標準で4G(ギガ)や8G装着されていますが、当時のメモリは1M=1万円の時代で2Mもしくは4M増設するのがやっとでした。そのメモリを増設してその頃出始めたWindowsの試作版Ver2.Xを動かして一人悦に入っていましたが、今と比べれば画面の切り替えに数十秒かかっていましたので動かしているとは言えない状況でした。

ちなみに当時の汎用ソフトとしてユーザーが多かったのがワープロの「一太郎」、図形ソフトの「花子」(いずれもジャストシステム社)、表計算では「ロータス1・2・3」(ロータス社)がダントツの人気でした。今全盛のワード・エクセルはDOSの時代はなくエクセルの前身とも言える「マルチプラン」(マイクロソフト社)が一部で使われていた程度でした。

アプリケーションソフトについてはMS-DOSの時代は各ソフト会社が競い合っていましたが、Windows普及後はOSを背景にした強みを生かしMicrosoftに集約されてしまいました。

パソコン購入から3〜4年経過しMS-DOSに物足りなさや使い勝手の悪さに嫌気が差し始めていました。

その頃から言われ始めたのがGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)で、説明するまでのことでも無いのですが、要は使う人の立場に立った操作性があるかどうか=一般消費者を取り込めるか否かだと思うのですが、MS-DOSの世界は一般人には敷居が高く、出始めていたWindowsもまだ開発段階で実用性には遠く、パソコン本体のパワーも不足していました。

パソコン購入後頻繁にパソコン雑誌を購読していましたが、その中にアップル社のマッキントッシュ(以下Mac)の記事を読むと、MS-DOSの世界と根本的に違う世界に見え始めてきました。

そもそもビジネスライクなビルゲイツ創始のマイクロソフト社と、芸術家肌のスティーブジョブズがガレージから始めたアップル社とではそのコンセプトが全く違っていたようでした。

それらの記事を読むに連れMacの世界を覗いて見たい気持ちが起こり始めていました。

更に業務上の取引先の中にカメラマンでMacMS-DOSに通じた人がいましたが、その人とはたまたま住所が近かったため、夜フラリと我が家へ来てパソコン講釈を聞かせてくれたりもしました。

カメラマンという仕事の関係でMacPhotoshopを使いメモリを増設して画像を加工することなどを聞いているとMS-DOSとは異なる文化への思慕のような物が芽生え始めていました。

Macな日々 その1

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パソコン初購入から25年経過し、その間のパソコンとの関わりをブログに書きたい気持ちは以前から持っていましたが、やっと最近その気になりましたので、「Macな日々」のタイトルで何回かに分けてアップいたします。

最近ブログはiPadで当たり前のように書いていますが、思えば初めて触れたパソコンと比べると天文学的と言えるほど高性能にそして便利で安価になっています。

最初のパソコンは電源を入れても、黒いブラウン管の左側に無表情に A〉 と出るだけでした。もっともそれすら一般的なハードディスクのないパソコンは、フロッピーディスクMS-DOSを入れなければ出てきません。

最初のパソコン購入は多分1989年だったと思います。

その頃はまだ

「パソコンて何?」

「パソコンとはパーソナルコンピューターの略」

「何ができるの?」

ワープロとかカルク(表計算)」

と言った時代でした。

当時、30代後半で仕事の面では課長職でしたが一つの部を任され、しかも社内でも先端の部署のため内心焦りも感じていました。時代に取り残されることを最も恐れていた時でもありました。そのような時、行きつけの喫茶店のマスターが、店の片隅でパソコンをいじっておりよくパソコンの話を聞かされ洗脳されていました。そしていつの間にかパソコンにチャレンジする決心をしてしまっていました。パソコンをツールとして何かをすることが目的ではなく、パソコンにチャレンジし、それを理解し扱いこなすことが目的だった気がします。

そしてどのパソコンにするか迷った挙句購入したのがNECの98シリーズのRS-21(写真)とディスプレイ、外付けハードディスク、プリンターでした。購入金額はとても恐ろしくて言えませんが、当時の軽自動車一台分に相当する金額でした。今思えばよくもそのような高価な物をと思いますが、当時は発展途上人で余り怖さも感じていなかったのでしょうか。

RS-21という機種は当時16bitから32bitへの移行時期で、32bitの走り的な機種でした。選考の際一部熱狂的なファンのいたマッキントッシュもひとつの選択肢ではありましたが、98シリーズより更に値段は高く100万前後していたため諦めました。

購入して後、パソコンとの苦闘の日々が始まりました。

当時はまだWindowsではなくOSがMS-DOSの時代で、冒頭に書いたように電源を入れても暗号のような文字(DOSプロンプト)しか出てこず、教本を片手にDOSのコマンドを勉強することから始まりました。本格的なソフトといえば喫茶店のマスターからもらったワープロソフトの一太郎Ver3.0ぐらいでした。

それにもう一点、FD(ファイル&ディレクトリの略?)というフリーソフトがありこれは重宝していました。MS-DOSの場合ディレクトリの階層管理が必要で面倒な操作でしたが、このソフトはそれをビジュアル的に管理できマウスも使えたので大助かりでした。