Macな日々 その7
1989年のパソコン初購入以降延9台のパソコンを購入していますが、MS-DOS、初Macに続く3台目が初代iMacでした。
このiMacはスティーブジョブズがアップル社復帰後の最初のヒット商品だったと思うのですが、ヴィジュアル的には写真の通りスケルトンカラーの一体型で、デザインにこだわりまた価格にもこだわりアップル社として起死回生のとまで行かないまでも復活の足がかりになる商品だったと思います。
そしてもう一点頭に「 i 」を付けたネーミング商品のスタートでもありました。言うまでもなくiPod,iPhone,iPadへと引き継がれています。
iMacヒット後スケルトンカラーの商品や、頭に i のついた商品が市場に溢れた記憶があります。かく言う私も私自身が開発に携わった商品に i を付けたネーミングで発売しました。その際頭に i を付けることが登録商標として問題ないか調査した記憶があります。
世間のiMac評価に反して個人的には初代iMacの印象はあまり良くありません。と言うのはこのiMacは購入の際メモリーを増設したかどうか記憶は無いのですが、動きが悪いと言うか、反応が遅いと言うか、何かをしようとしてもHDDにアクセスするような「ジジジー」と小さな音はするのですが、反応がなく下手にマウスを動かすとフリーズと最悪のパターンになることが頻繁にあった気がします。ちょうど初期のWindowsでメモリーが少ない場合HDDに仮想メモリーを設定したケースと同じように、メモリーをある程度使う作業をしようとすると途端に動きが緩慢になるのと同じような現象でした。
この頃世の中はWindowsの全盛期で、会社でもWindows端末機の導入がされており内心少々焦っていました。で、とった処置としてWindowsマシンを1台購入してしまいました。購入したのはミニタワー型で多分ソーテック社製だったと思います。
札幌・小樽へ
札幌
渡辺淳一文学館
札幌では北大も行ってきましたが、スケールの大きさにビックリでした。 とにかく広大で校内を小川が流れ、巡回バスが走り、学生は自転車で移動と驚嘆の連続でした。ちょうど森の中に学舎が点在するイメージです。 北大は全国区と聞いたことがありますが、憧れる気持ちがよくわかります。校内には野球場が2箇所、アメフト専用競技場、ラグビー競技場もあり唖然とさせられました。
Macな日々 その6
インターネットが普及し始め、その回線をどうするか試行錯誤の頃、企業にとってインターネットによる情報発信が必須になることを予想し、会社にホームページ開設の稟議書を書き提出しました。
が、しかし会社の返事は「否」でした。理由としては「時期尚早」とのこと。
長い会社員生活の中で頭に来た出来事の一つでした(笑)。業務的には些細な事案には違いないのですが、将来的には絶対必要との自信もあったので内心では「ご立腹状態」でした。同じ業界の専門店の一部では既にホームページを立ち上げネット通販を始めている状況なのに、世情のわからない人間が判断すればこんなものかと一人憤慨しておりました。
ではどうするか、と暫く考えた挙句だした結論が「自分でホームページ(以下HP)を作ってやろう!」でした。個人で会社名を語ることはできませんので、あくまでも個人の名前で会社で扱っている商品群のユーザー的な観点で作ろう・・が結論でした。
先ずHP制作ソフトを探し、名前は忘れましたがアップル社から出ていた制作ソフトの試用版を入手し、HTML言語の教本を購入し、会社のカタログをスキャナーしてデータ化し、一部ショップの写真をデジカメで撮影するなどHP作成のための材料を集めました。
そして実際にHPの制作にかかったのですが、制作ソフトが今思えば未完成だったのと、初めてのHTML言語だったこともあり悪戦苦闘で、毎晩自宅で夜なべをしていました。基本は制作ソフトで作り、ソフトで対応できない部分を教本片手にHTML言語で書き、何とか2ヶ月以内で作ったと記憶しています。
HPアップ後閲覧数をチェックしながら時折ページ更新していましたが、HPその物がまだ少ないこともあったのでしょうか、それなりの閲覧数が出ていました。当時はムック(本)でHPを紹介したものが書店で売られていましたが、何冊かで私の作ったHPが紹介されたこともありました。
しかし数年後会社でもHPを作ることになり、私の部で制作したこともあって私個人のHPは閉鎖しました。結果として私個人の手作りHPは貢献したとは思いませんが、HTML言語を少しかじったことについては良い経験を積んだと納得しています。
手づくりギター工房
Macな日々 その5
3球ラジオ配線図
話は少し横道に逸れますが、中学生の頃の憧れとしてアマチュア無線とラジオ製作がありました。
若い方にはアマチュア無線の意味は通じないと思いますが、無線機で見知らぬ人と交信することを言いますが、交信そのものより受信機や発信機といったハード自体に憧れを持っていました。
それと当時家庭のラジオはまだ真空管式が多く真空管5本を使用した「5球スーパー」というのが一般的でしたが、それより少し旧型の3球(真空管3本)式は配線も比較的簡単で部品も少ないので3球ラジオを作りたくてラジオの配線図を暗記して、パーツを揃えて組み立てたこともありました。
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快適なMac生活を送っていた時、阪神淡路大震災が1995年1月に起こってしまいました。早朝我が家も大揺れでしたが被害はありませんでしたが、電気、ガスが一時的に止まり電話も通じなくなってしまいましたが、その後耳にしたのが「パソコン通信は震災時も通じ、電話が繋がらない中情報連絡に貢献した」でした。
で、突然パソコン通信をやろうと即断しプロバイダーと早々契約しました。その時考えたのが昔の夢のアマチュア無線の代替にならないかとの思いでしたが、残念ながらパソコン通信にはあまり馴染めず比較的短時間でやめ、ちょうど話題になり始めたばかりののインターネット契約に切り替えました。
しかし当時のパソコンのハード自体の性能やネットの通信スピードが、インターネットをする環境に達しておらず、画面に切り替えに数分かかったりと時間制だったプロバイダー料金が上がるばかりでした(・_・;
通信スピードを上げるため、一般電話回線からNTTのISDN回線に切り替えましたが、スピードが2倍にはなってもまだまだ思うような環境ではなかったのですが、しばらく我慢していると関西電力が家庭向けの光回線を始めるとの新聞広告を見かけ、何のためらいもなく早々に予約申し込みをしていました。それがちょうど10年前の2004年4月だったと思います。その後は通信スピードに関しての不足感はなくなりました。